ふしぎデカルト・ゲシュタルト。
12/15/2012 土曜日
*タイトルに意味はありません。
以下6年前の日記。
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文字禍/中島敦(1942)
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一つの文字を長く見詰(みつ)めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯(こうさく)としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有(も)つことが出来るのか、どうしても解(わか)らなくなって来る。
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今日は図面を整理したあと、ビールを飲みながら新規案件のお店のロゴを考えてみる。
午後からひたすら考えてみる。
ひたすら考えてみる。
スケッチ書いて、タバコ吸って、イラレで起こして、ビール飲んで、ひたすらこの繰り返し。
結構とビールは飲んだんだけど、以外と酔いは廻ってこない。
むしろ目が冴えてくる(そしたらいつの間にかこんな時間…)
ロゴなんかを考えている時、じっと同じものを眺めて(凝視して)いると、それが文字なのか線の集合体なのかわからなくなってくる。
カタカナや漢字に限らず、アルファベットでもそう。
そうなってくると、もう、何をしているかわからなくなってくるんですよね。
何を書いているかわからなくなってくるんです。
文字のバランスとか、その文字の音すらもわからなくなってくる。
たぶん、そんな経験って皆さんもあると思う。
漢字の練習とかしてると同じような事を感じたりするもの。
なんかいつもより疲れた。
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あ、これ、デジャブ?
いや違う、デジャブでもなんでもない。
経験したことを忘れてるだけで、何も変わってないという。
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